折坂悠太の心理

折坂悠太の新しいアルバムが素晴らしすぎて誰かと話したい。

語彙の貧しさもあってここには書き尽くせない。

アルバムの全てに心のどこかをつつく刺激があるけど、

いまいちばん気に入ってるのは「炎」から「星屑」の流れで、聴くたびに泣きそうになる。

かつてなく死が傍らにあるアルバムだと思った。

冬から春、と、夏から秋、の素晴らしさは言い尽くせない。

夏の暮れにはちょっと無理矢理着ていたカーディガンがようやく肌にぴったり馴染んできている。

 

そういえばこの秋は24回目の秋なのだ。

今日を表土とした時の地層のなかに、大きく分ければ23の秋の層があるはずなのだ。

毎日新しく降ってくる砂のなかに溺れて、

ときどき地べたに目を凝らして、

耳を当てて、

 

いま若干ミルクレープが食べたい。

ドトールのミルクレープが食べたい。

フォークでざっくり切り分けて、それから大きなひとくちで食ってやりたい。

 

親知らず

左側上下の親知らず、あわせて2本抜いた

麻酔が効いてもはや何をされてるかわからないまま、医者がやけに力んでるタイミングでかろうじて抜かれた瞬間を把握できた。

抜いた直後から麻酔が効かなくなってきて、たぶん人生でもっとも痛かった。肺も足も震えて全身が痛いような気がした。かすかに楽になるのは、本当に痛い患部に意識を集中することだった。痛みが何に向かって、なにを痛めているのか集中するとほんの束の間痛みがそれ以上でもそれ以下でもなくフラットに感じられる。

ただほんとうに束の間で、「気の遠くなるような痛み」という言葉が身体でわかってしまった。急いで痛み止めを飲んだけど効き始めるまでとても長い時間を感じた。

マジで痛い。痛い。あともう1.5倍ほども痛かったら気を失ってしまう。これを超える痛みを受け止める器をもっていない。

いたいよ〜

 

DON'T LET ME DOWN

 

「“Don't let me down” は

“僕を見捨てないでくれ” ではなくて

あくまで “Don't let me down” だ。」

 

と突然思って、良い気づきを得た気持ちになることが時々ある。

たくさんの人がすでに、さらにきっちり精緻に言語化してるであろうそれをほったらかして、僕はひとまず寝させていただく。

ひとりでそれを掘り下げる根性はまったくないのである。

これを積み重ねていくとかなり僕になる。

 

今日は晴れても冷えたままの空気がとても嬉しかった。

冬の冴えた景色を思い出して、旅人が増えるだろう。

 

B4くらいのスケッチブックを持っている。

岡本太郎の「今日の芸術」を読んだので当然「よォし絵でも描くか」となったんだけど、

スケッチブックの白紙の広さに立ち尽くしてしまった。

稀に絵を描くときはだいたいパステルで描くので塗りつぶすのが楽なんだけど、

今日使ったのはクレヨンで、空を塗るにも容易じゃないのだ。

いつも描きたいことは特に思い当たらないので、とりあえず好きな色を塗り始めて、その跡が何かに見えたタイミングでその何かに向けて舵を切っていくようにしている。

クレヨンで同じことをしようとした。

4分の1くらいをそら色で塗りつぶして、手が疲れてしまった。

何にも見えないし、楽しくもなかった。

こういうとき、コブクロの虹の歌詞がいつも浮かんでくる。あんまり良い気分ではなく。

 

 3色のクレヨンでなんだって描けたのに

 

 100色の絵の具目の前に被写体が見当たらない

 

 

まったくその通りだとも思うけど、

いやでも子どもの頃から純粋でなまなましい絵なんか描けてなかったはずだ。

視覚の仕組みもわからず、何かの記号しか描けず、何を描いてもこんなものが描きたいんじゃないってずっと思ってた。3色のクレヨンでなんだって描けた人はいまもなんだって描けるんだろうって少し思ったりする。

何を描いても違和感だけが確かで、いつも少し苛立っていた。

 

いまのところ、少しだけ塗って投げ出してしまったページの数々が自分の絵だと言う他ない。

紙は白すぎる。

木や石や壁に書いてみたい。

ぼやき

今日もあっという間に夜が来て、

往生際悪く何か求めてあれこれつまみ食いしてたらなにも満たされないままこんな時間になってしまった。

 

友だちと会う約束があんなに待ち遠しかったのに相変わらずのこんな社会の風向きで、

万が一、職場のひとにコロナ伝染すようなことになったらと、いまはほとんど憂鬱な気持ちで週末の約束を待っている。

友だちはまったく大好きだけど、いちいちそういうことを考えないといけないこの現状が変わらないなら1人でいる方がずっと良い。

ほとほと疲れた。実家を出てそんな心配からも解放されると思ったけど結局なにも変わらない。

だれも悪くないし敵じゃないと心から思うけど、わかってくれないなら友だちでいてくれなくて良いし捨ててくれて構わないとも、同じくらい強く思う。不必要に同調を求めないでほしい。ほっておいてほしい。

連日の雨模様、

雲がはりついたまま時間が止まったみたいで憂鬱になる。

 

最近谷川俊太郎の「二十億光年の孤独」がとても気に入っている。有名な部分だけど

 

万有引力とは 

 ひき合う孤独の力である

 

宇宙はひずんでいる

  それ故みんなはもとめ合う 」

 

50年ごしでも濁らない、澄んだ水みたくひんやり入ってくる。

 

あと折坂悠太の「鳥」

 

「 ちいさな子どもが影おとす

 あちらこちらについてくる

 ふしぎとみてたその影を

 かくまうように夜がくる 」

 

の節もすごく心がざわめいた。

音楽も詩も写真もひとりで触れていたい。

誰にも見られないところで、ケータイもないところで自分の心がなにに動いて、なにを求めるのか知りたい。

それでいて誰かと深く分かり合いたくて、これはとんだ欲の深さだと自分で書いていて思った。誰が読むかも知らないこんなブログにぼやいておきながら。