折坂悠太のさびしさを久しぶりに聴いて、やっぱり本当にいい曲だと当たり前ながら思った。

久しぶりといっても僕は折坂中毒だから、2週間ぶりとかなんだろうけど。

そもそも『平成』があまりにも素晴らしすぎる。休日に河原で友人やそこらへんの老若男女と合奏するのが夢だ。

 

少し時間をあけただけで聴こえ方がやっぱり変わる。今日はパーカッションがよく聴こえる。ヘッドホンを新しく買ったからかもしれない。

無性に懐かしいような気になって、無性に宮城に行きたくなった。宮城行きたい。

ひとりで石巻に行ったとき、当たり前に街が街としてそこにあって、震災の跡も他人行儀で、

あの時間と感覚が自分のなかに残っていてくれるのか少し不安だったけど、今も心の下のほうでやけに光っている。

忘れてしまいそうで不安な時も身体は案外開かれているんだと思う。

意識というのを神聖視しすぎなのかもしれない。身体を侮っているのかもしれない。

そう言いながら先日の地震をもう忘れかけているんだけど。

 

このブログってURL貼れないんだろうか?